山門の掲示板を飾る一言を、書き換えるごとにご紹介して参ります。
禅語の難しいものだけでなく、古今東西、四季折々、辛辣なもの、クスッと笑えるもの。
いろんなその時々の言葉を書いて参ります。
書くのはもちろん住職。
あまり上手な書ではありませんが、道行く人のお目にとまるようがんばります。
今NHKの朝ドラでやっている『半分青い』のセリフより。
大きくなるにつれて、感動する事って少なくなりますね。
いろんなことに慣れてしまうからでしょうか?
大きくなるにつれて感動することが恥ずかしい、怖い。
そんな気持ちがあるのかもしれません。
しかし素直になることとは素の自分になりきること。
なりきることとは仏の姿そのものであること。
だからそこには真実があるのでしょうね。
あなたは最近、感動しましたか?
追記 雨の中張り出したら雨地味になりました。
悪しからずご了承ください。
タンザニアのことわざ。
日本にも「塵も積もれば山となる」という諺がありますが、同じことですね。
一昨年始めた坐禅会ですが、誰も知らないため何ヶ月も参禅者が来なかった時期がありました。
「誰も来ないからやめちゃおう」
そういう風にしてしまうのは簡単なことでしたが、私は一人で坐りました。
この一回一回の積み重ねがきっと将来の坐禅会に繋がって行く。
そう信じていたからです。
今ではたくさんの人が、というわけにはまいりませんが参禅の仲間が徐々に増えてきています。
勉強も子育ても恋愛も、きっと同じことなのでしょう。
少しずつ少しずつ。
その少しずつがやがて大いなるものに積み重なって行くことを信じて。
大阪•阿倍野にある助産院「ばぶばぶ」のある助産師さんの言葉。
この方なんと、お子さんが9人おられます!
あるテレビ番組に出演されていたのですが、その時に「子育ては頑張ったら負けやねん」と言っておられたのが印象的で、ここに紹介させていただきました。
日本人は「頑張ります」というのが口癖になってますよね。
その頑張りが原動力となって戦後から不死鳥のごとく復活したのはいうまでもありません。
でも、頑張るのと無理するのは違うと思うんです。
頑張りはとても大事なこと。
頑張り無くして成長もなし。
ただ、やはり子育てはとても大変。
同じ子供が一人としていないのだから、何人育ててもその都度初めての経験と言えるでしょう。
だからこそ、やはり。
「子育ては頑張ったら負けですヨ」
仲間(ママ友、パパ友)と一緒に楽しむことで、より良い子育てができるような気がするんですよね。
おやこ坐禅会で、子育て楽しみませんか?
長松院で待ってます。
Mr.Childrenの曲「Worlds end」より。
若い頃は私も「自由」になるために親や教師から「縛られて」いることが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
自分に与えられた境遇や待遇、時には友人との関係さえうっとおしくて仕方がなかった。
そんな時期もありました。
そのような状況から抜け出したくて10年以上も海外を放浪し、本当の自分とはなんなのか、本当にやりたいことはなんなのか、ずっと悩んで苦しみました。
今、私は家族を持ち、一ヶ寺の住持職を任され、一児を授かり父となって、じゃあそれらに縛られているのかというと、決してそんなことはない。
その時その時で判断に迷い、間違い、辛いことも多々ありますが、それは縛られているからなんかでは決してない。
「インドラのネット」という考え方があります。
古代インドの世界観の1つで、この世の中は帝釈天(インドラ)が地球を覆うようにして投げた網で、その結び目には1つ1つにルビーが編み込まれている。
そしてその中のルビーの1つが光を放つとき、その光を受けた隣のルビーが輝きを放ち、その光がその隣の…と無限に輝きが広がり、この世を照らすというものです。
このルビー1つ1つがあなたであり私であり、親であり友人であり、兄弟である。
私はこの思想が大好きです。
私たちがもしこのルビーであるならば、あなたと、私と、友人と、親と、兄弟と、つながっていることを嬉しく思いますし、そのまばゆい光で光り、光らせ、美しいこの世界を生きていきたいと思います。
とはいえ、反抗期には反抗するがよろしく候。
かくいう我が子も絶賛反抗期中です(笑)
我が参学師の一人、總持寺元後堂老師で香川県善通寺大方丈の野田大燈老師の言葉。
「我々禅僧はいかにして生きるべきか」とのシンプルな問いにシンプルにこう語ってくださいました。
老師は校内暴力荒れ狂う昭和50年代から、一貫して教育者、禅僧として社会に向き合ってこられ、情緒不安定な子供達の駆け込み寺である「若竹学園」や児童養護施設「亀山学園」の学長として活動してこられた私が最も尊敬する禅僧の一人です。
いろんな事業を推進してくる中には、きっと様々な座ぜつや失敗が多々おありであったと思います。
そんなのだ老師の言葉だけに、私の心には深く染み入ってきます。
協力を申し出てくれた人のことをあてにしつつ、あてにせずに自分がすべきことを粛々と行って行く。
それが悟りの道であるし、失敗しない唯一の方法であるような気がします。
私の座右の銘の一つです。
白居易の詩『燕詩示劉叟』より抜粋。
燕よ、嘆き悲しむな。
あの日の自分を思い出すがいい。
自分が雛だったあの時のことを。
母を背にして高く飛び立っていったあの時のことを。
当時の父母の思いを今日ようやく知ったのだから。
三月は卒業シーズン。
四月から新しい生活を新しい土地で始める諸氏も多いことと思います。
住み慣れた故郷を離れ、父母の元を巣立つ諸君は夢と希望に満ち溢れていることでしょう。
夢に向かって歩む姿はとても眩しく感じます。
そしてその巣立つ姿を深い感慨で見つめる父母。
きっと帰らぬ懐かしい日々を思い出しながら、輝く我が子を目を細めて眺めていらっしゃるにちがいない。
また同時に巣立っていく我が子を思うあなたたち父母の寂しさは想像に硬くありません。
しかし。
子らを見送るあなたたちの思いは、実はあなたがたの父母も感じた思いなんですよね。
子はいつか巣立つもの。
寂しい気持ちと一緒に、雛が成長して巣立っていく姿を感慨を持って噛み締めましょう。
そして彼らもいつかは同じ思いに駆られることを噛み締めながら、その時にこの詩の話をしてあげれたら素晴らしいと思います。
あるアニメのセリフより。
最近”ミニマリスト”や”断捨離”など、シンプルな生活を目指す言葉をよく耳にします。
日本人に限りませんが、シンプルな生活を心がける姿勢はそのまま然の実戦であるように思います。
ついつい”これあったら便利だな”と買い求めて、しかし出番のないまま棚の奥にしまわれてしまうようなもの、ありませんか?
私は多々あります。。。
本当に必要なものとは一体なんなのでしょう。
なかなか物欲に勝てない私にはまだ理解のできないことであります。
沖縄の方言。
「一度会えば皆兄弟」の意。
私が子供の頃に、笹川会長のCMにもありました。
人類皆兄弟、一日一善。
最近あのCM見ませんね。
いいCMだったのに。
「同席対面五百生」という言葉があります。
同席したり対面したりする人というのは、これまで繰り返されてきた前世で五百回は一緒に生きた人である、という意味だそうです。
つまり、一度同席しただけの人でもこれまでに最低でも五百回は付き合っているということ。
そしたら家族というのはものすごく長く大切な存在と言えます。
しかし沖縄の人たちは、一度会ったらもう兄弟だというのです。
なんと素敵な考え方なのでしょうか。
だからこそ「一期一会」。
出会ったことに感謝して、誰かとおつきあいできることを大事にしていきたいものですね。
世界的な天才科学者、アルバート•アインシュタインの言葉。
なんだかとても宗教がかった言葉だな、と思うと同時に、これほど的確な教えを宗教とは真逆の立場にいる科学者の口から発されたことに素直な驚きと感動を覚えます。
アインシュタインの理論は実験再現するには難しすぎて、「思考実験」をしばしば行い、その結果により自身の仮説を論証に導いていた、というような話を耳にしたことがあります。
また、シュレディンガーの猫などで有名な、しかし実戦科学として多岐にわたり応用されている量子論の論旨についても「神はサイコロ遊びを好まない」と述べるなど、大自然の中にある偉大な力(宗旨はともかく)なしではこの世の均衡は存在しえない、と考えておられたのでしょうか。
私には難しいことは理解できませんが、自己と他己を区別しない、大きな存在の中の小さな自分という感覚はなんとなく理解できます。
お互い様、ということですかね。
この言葉、私の座右の銘なのです。
もっとも世界で偉大なギタリストで、私がギタリストでもっとも尊敬する人物、ジミ•ヘンドリクスの言葉。
似たような言葉に「愚者は語り、賢者は聞く」(ソロモン王)がありますが、私はこちらの方が好きです。
知識、という時は二つのknowledge、知ると識るが合わさりできています。
いっぽう智慧の智にはお日さまがついており、慧はwisdom、聡明という意味の二文字より成り立っています。
太陽の光は照らすべきものを差別•区別せず平等に照らし、恵みを与えます。
つまり、聡明な教えをお日さまのように平等に与えるもの、それが智慧なのです。
我々は自分の意見を聞いてもらうために、時には相手を論破して欲求を解消しようとしたりする。
私なんぞは常にそんなことをしてしまっています。
しかし真の智慧とは、知っていることを振りかざすのではなく、まず聴く。
傾聴する。
簡単なようでものすごく難しいこの行為。
子供のいうことなんか、学生のいうことなんか、あいつのいうことなんか。
これではお日さまには程遠い。
なぜ口は一つで耳は二つなのか。
身にしみて考えさせられます。
しかし一方で先生や師などと呼ばれる職業につくと、いやでも他人様に話をしなければならない。
これくらい知っていて当然でしょ?とばかりに知識を求められる。
一見すると二律背反のようなこの「知識と智慧」。
上手に昇華させることができればいいのですが。。。
私にはまだまだ辿り着けない境地です。
遥か昔、祖師方々による禅の究極の教え。
それがこの詩であると思います。
禅寺ではよく木版(もっぱん)に書かれています。
曹洞宗では「生死事大 無常迅速 各宜醒覚 謹勿放逸」が多いと思いますが、時人を待たずという一文が好きでこちらを書きました。
意味は同じ。
日本にも「光陰矢の如し」とか「歳月人を待たず」など俚諺もあり、万国共通の人類の智慧なのでしょうね。
追記;Rolling stonesも謳ってます。
"And time waits for no one, and it won't wait for me "
ストーンズの中でもお気に入りの一曲です。
聴いてみてください。
正岡子規のクリスマスの俳句。
このころはまだあまりクリスマスも今ほど定着していなかったのでしょう、子規があまりクリスマスにはいいイメージがなかったような感じがしますね。
ちなみにこの後作った句には「八人の子供むつましクリスマス」で、俳句でカタカナが初めて季語として使ったものだそうです。
たくさんの子供らがクリスマスにプレゼントを楽しみにしている光景が目に浮かぶようです。
なぜ8人かはわかりませんが。
天気はあまりよろしくないクリスマスです。
雪がたくさん降る地域もあるようです。
しかし、ホワイトクリスマスの翌年は素敵な年になると言われています。
ホワイトクリスマスのあなたにも、好天に恵まれたあなたにも、来年は素敵な年になりますように。
Merry Christmas and A Happy new year!
小学生の頃「割り算なんか何の役に立つんだ?こんなもん、何の役にも立たんわ」と思ってました。
中学生の頃「星の動きって何なんだよ?こんなもん、覚えるだけ無駄だわ」と思っていました。
高校生の頃「微分積分って何だよ?こんなもん、絶対に一生使わんわ」と思っていました。
でも、今考えるとそれは間違いなんですよね。
買い物してても割り算は使うし、星の動きで方角はわかるし、微分積分は。。。
これはいまだに使い方はわかりません(笑)
でも、道具や知恵は使い方次第。
役に立たんわ、じゃなくて役立てることができるよう頭を使う。
冒険野郎マクガイバーを見ていて痛感した次第です。
さて、これはなんでしょう?
ちび太のおでんではありません。
昔から禅宗ではよく使われる公案の一つです。
これは解説はいたしません。
これが正しい答え、というものがないからです。
みなさんが自分で考え、自分で出した答えが正しいもの。
一緒に坐って考えてみませんか?
ご存知「元祖 天才バカボン」のバカボンパパの名セリフ「これでいいのだ」より。
わたしはわたしで、これでいいはずですし、あなたはあなたで、それでいい。
今より高いところを目指すのは決して悪いことではないし、今より遠いところを目指すのは当たり前のこと。
でも、理想と現実のギャップに悩んで今の自分を否定するのは、あまり健康的とは言えません。
身体に健康が必要なように、心にも健全さが必要です。
懸命に生きている限り、今のあなたは、今のあなたでキラキラ輝いていますよ。
それでいいのだ。
最近、近所のお菓子屋さんの社長さんに「いつも楽しみにしています」と携帯に撮ったこの元気の出る一言の写真を見せていただき、恐縮しながらもやはりとても嬉しかった今日この頃です(笑)
読み人知らず。
楽あれば苦あり、山あり谷あり、人生楽ありゃ苦もあるさ♪、など数ある格言ですが、これもその一つ。
苦しい坂を登っている間は、つらいつらいで先のことなど考えもつきませんが、実は坂道って登れば登るほど筋肉もつき持久力も上がり、メリットも多いんです。
あとで下りの楽な道が待っている、ではなくて、登ったぶんだけ体力(実力)や筋力(智力)がつく。
私はこの句をそのように読みました。
皆様はいかがですか?
先日、あるお檀家さんと話していて教えてもらった言葉。
相撲の尾車親方の言葉のようです。
全ての試合に勝ち続けるのは至難の技。
将棋の天才少年、藤井聡太くんですら負けてしまうのが勝負(人生)です。
「たまには負けてもいいんじゃんないか。
全てに勝つ必要はない。
最後の最後に少しだけ勝ち越せればそれでいい。
私はそう思って人生を送っています」
私もそう思います。
負けてこそ知ることもある。
負けてから始まることもある。
プラスマイナスゼロくらいがちょうどいいのかもしれませんね。
オニバス保護に一役買うこととなりましたので、ご挨拶です(笑)
折り紙は、彦根城オニバスプロジェクトのシンボルキャラクター「彦鬼(げんき)」くんです。
オニバスプロジェクトの方が折ってくださいました。
中川さん、ありがとうございます。
言わずと知れた、クレイジーキャッツの名曲「だまって俺について来い」より。
青島幸男から漂ってくるそこはかとない優しさ、植木等から垣間見える禅の香り。
クレイジーキャッツに仏教を感じるのは私だけでしょうか?
昭和のイケイケの時代に、こんな優しい歌詞があるなんてなんだか嬉しくなってしまいます。
おそらく人生において本当の悩みなんて、そうそうたくさんはないんですよね。
こんな風に生きて行けたら。
私の人生訓の一つです。
ドイツの偉大なる詩人であり哲学者、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉。さすがはドイツの巨匠、たくさんの名言を残していますが、この言葉は釈尊の教えにも通じるものがあるような気がします。
口では綺麗事をなんとでも言えますが、これを実際に行動に起こすとなるとこれはなかなか大変なことです。
人の為、と軽々しく口にすることは偽りなのでしょう。
行動によってのみ、人格は形成されると信じています。
ドイツの「哲学の巨人」フリードリッヒ・ニーチェの言葉。
ニヒリズムの代名詞として有名な哲学者ではありますが、我々には少し彼に対する誤解があるようです。
ニーチェの唱えたニヒリズム、いわゆる虚無主義は、デカダンな香りがする頽廃主義ではありません。
私に言わせると少し仏教、というか禅の香りがする主義主張です。
ですから、彼の言葉には前向きな、明るい言葉が多いです。
新社会人、新入生、新しい生活。
少し疲れてきている時期かもしれません。
入社式も終わり、本当にこれで良かったのかな? 違う道があったんじゃないかな?
そんなふうに思う気持ちはわからないでもありません。
でも、自分で決めた道であるなら、多少の失敗もまた人生の肥やし。
かくいう私も失敗の連続で日々を過ごしています。
誰かの人生ではありません。
自分の人生の主人公になりましょう。
アメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの言葉。
チャンスはきっと誰にでも平等に訪れます。
要はそのチャンスを自分のチャンスと気付けるか、そしてその一瞬を逃さず物にできる準備を常々怠らないようにしているか。
そこがチャンスを活かせる人とそうでない人の差のような気がします。
勉強というものはそのためにしておくものと心得ますが、いかがなものでしょう??
読み人知らず。
赤ちゃんの笑顔って、邪気がなくてこちらまでつられてほっこり幸せになりますよね。
当の赤ちゃんは、誰かを幸せにしようとか誰かを笑わせようなどとはつゆも考えていないのでしょうが。
我々もまた同じで、自分が幸せそうに笑っている事、喜んでいることが自然と誰かを幸せにしている。
そう考えたら、あなたの笑顔も立派な利他行です。
幸せのおすそ分け、してあげませんか?
うちの息子の同級生で大の仲良し、北川なおきくんの作品です。
この詩を見たときに「なんて素晴らしいんだ」と心から感激しました。
大人の世界もこうありたいものですが、なかなかそうもいきませんね。
あまり素敵な詩なので、皆さんにも知っていただきたくて山門の言葉にしました。
子供はやっぱり素晴らしい。
出典不明。
またこの季節になってまいりました。
そうです、受験シーズン。
笑う人あり、泣く人ありの戦争であることに昔も今も変わりはありません。
実際、学力なり学閥が幅を利かせる世の中であることを今更否定はしませんが、しかし、良い学校に入ることが全てではないこともまた動かしようのない事実。
受験勉強を「入学するための無駄な必要悪」と割り切ってしまうのではなく、この知識もいつかは何かの役に立つ、そう思って頑張ってください。
頑張れ、受験生!
みんな満開の花を咲かせることができますように。
風邪を引かぬように!!
この言葉は、昨年9月に難病で亡くなったYちゃんという少女が遺した言葉。
心にしみる一言です。
がんばらないけど、でもなく、がんばって、でもない。
中道を行く大事さを簡潔に語ってくれていますね。
私はこの言葉を、ある先輩の禅哲より賜りました。
今年一年の抱負とします。
皆さん、今年もよろしくお願いいたします。
毎年思います。
「今年こそはこれまでと違った年にするぞ!」
皆さん同じではないでしょうか。
でも今、という一瞬一瞬の積み重ねが一日となり一月となりそして一年となっていくのですね。
今年をこれまでと違った年にする。
それは今という一瞬を無駄にせずに精進していくことなのでしょう。
来年こそは!
アメリカの人気ドラマ「Agent Carter」のセリフより。
我々はいつも、自分だけが正しいことを述べていると信じてしまいがち。
しかし対象物がある限り、そこには必ず対象から見た言い分があります。
そして第三者の目。
ここでいう真実とは、100%客観的なものの見方、でもありましょうか。
そしてそれこそが仏の目で見た側面。
真実ということなのでしょう。
でも、なかなかそんな風に物事を見れませんね。
ところでエージェントカーターといえば、キャプテンアメリカの彼女。
身を粉にして国に尽くしたキャプテン・アメリカの見方は、ブッダの見方であったのでしょうか。
You can't always go your own way, but you have to go as you walked.
"You can't always get what you want"
ローリングストーンズの曲の中で私が大好きな一曲です。
求不得苦を説いたロックの名作です。
世の中、なかなか思ったようになりませんね。
仕事しかり、学校しかり。
”本当は今頃課長になっていたはずなのに。。。”
”もっと勉強しておけば、東大に行けていたはずなのに。。。”
でも実際は、やってきたようにしか物事は進みません。
思ったようにことが運ばない世の中ですが、それでも最善を望んで努力していかないといけないのですね。
人生にたらればなし。
It is not necessarily Matsutake mushroom because it sprouted from pine tree.
うちの境内にある松の古木の根元から生えた大きなキノコを見て思いました。
「これが松茸だったらなあ。。。」
土瓶蒸しにお吸い物、もちろん松茸ごはん。
しかし。
松の下に生えれば松茸ではないのですね。
聞くところによると、松茸はほっておけば生えてくるものではないらしく、採った後は綺麗にその場所の葉っぱを掃除しておかねばならぬのだそう。
人もまた然り。
名家に生まれたから立派な人とは限りません。
人はその生まれによって尊きにあらず、その行為によってのみ尊い。
日本人だから、アメリカ人だから。
男だから、女だから。
商売人だから、医者だから。
そんな瑣末なものでなく、それぞれの行為によって毒キノコにも松茸にもなれるのが我々なんですね。
でもこれ、やっぱり食べれないかなあ。。。
When you educate kids, you need "surprise","agree","sympathize ","nod" and "question" with them.
お父さん、いつもお疲れ様。
今夜はお父さんの好きなうなぎよ。
やった!うなぎだ!!
もちろんそんな意味ではありません。
子供の教育に必要な行動、それがこれ ”おとうさん うなぎ”
お→驚く
とう→同調、同意する
さん→賛成、賛同する
うな→うなづく
ぎ→疑問を持つ
です。
大切なことは、子供と同じ目線でこれらを行うこと。
しかし、これがなかなかむずかしい。。。
自分たちが通って来た道だから、だいたいの結果が分かっている世の親はやはり転ばぬ先の杖をついてあげてしまいがち。
しかしうまく子供をうまく導くことと、無理やり親の敷いたレールに載せるのとは別物なのですね。
子供の成功には驚き、賛同し、うなづいてあげる。
そして失敗したことには「なんで失敗したんだろうね?」と疑問符を一緒につけてあげる。
わたしもそんな余裕を持った教育がしたいです。
Parents should not only feed children, but also show them how to deal with the world.
宋代の宰相・司馬光(しばこう)が記した「勧学の歌」より。
本来は「養子不教父之過」(子を養いて教えざるは父の過ちなり)。
敢えて科としました。
有名人の子が犯罪に手を染める事件が後を絶ちませんね。
成人した息子/娘の犯罪に親がどこまで責任を負わねばならないのか、議論があるところではありますが、仕事にかまけて大切なことを教えてこなかった一つの結果が子供の犯罪であるのも否めない事実。
これは有名人に限ったことではありません。
子供というのは、社会から預けられたものであって我々の所有物ではない。
そう考えれば親となった責任とは、養うだけでなく可愛がるだけでなく、教え導くことではないでしょうか。
Life has no goal.
Just live our life.
No one can judge the meaning of our life.
2016年7月26日に起きた相模原市「津久井やまゆり園」の大量虐殺事件。
この事件で犯人の男が「障害者を不憫だと思って刺した」といったことに憤慨した8歳の少年の言葉。
私の胸に突き刺さりました。
犯人のサイコパス性、障害者に対する偏見、社会の中における障害者の立ち位置云々。
そんなのカンケーねーよ、という少年のまっすぐなことばは、『良心』という名の私のペルソナを射抜いてなおも突き進む一閃の槍のようでした。
ただ生きるだけ。
私も、あなたも。
ただ生きるだけです。
Succeeded man said;
"Let me do this job"
Failed man said;
"This is not my job"
詠み人知らず。
失敗は成功の母、といいますが、失敗するということは恥ずかしいことでもあります。
しかしそれでも、やらねば経験にはなりません。
またその積極的な姿勢を人はよく見ています。
逃げずに戦う。
負けとは転ぶことではなく、起き上がることを放棄すること。
私も肝に銘じます。
When you were born, people would have smiled and you might have cried.
so when you are gone, spend such a life as you smile and people cry.
ネイティブアメリカンの教え。
祝福されて生まれ落ち、惜しまれながら去っていく。
私はそんな人生を送りたいものだと思います。
そしてそのような人生を送るためには一体何が必要なのか。
最近は自爆テロなどという、生を冒涜した行為が巷にあふれています。
これは「自分の正しさを肯定するためには、他の正しさなどどうでもいい」という、宗教から大きく外れた、的外れな独りよがりの究極の姿だと私は思います。
生き物はそれ単体、それ一種類だけでは生存することは不可能です。
自は他に、陰は陽に、それぞれが支え合い、補完しあってひとつひとつが存在存続しています。
「何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのはいやだ」
これはアンパンマンの主題歌にある幻の一番だそうです。
この問いの対するひとつの答え。
それがこのネイティブアメリカンの教えなのかもしれませんね。
Do what you can, with what you have, where you are.
第32代アメリカ合衆国大統領、セオドア•ルーズベルトのことば。
人はとかく「もし私が◯◯だったら」とか「私に誰々だったなら」など、たられば思考に陥りがち。
かくいう私もよく「もっとお金持だったら、たくさん被災地に寄付するのに。。。」とか「おれが東京都知事だったらあんなことはせず云々」などと考えてしまいます。
でも我々は、今いる場所から逃げられず、今あるものの他に持っていません。
ならばやはり、今ここで、今ある物で、最善を尽くすしかないのですね。
こつこつがコツ、です。
People's purpose of life is not satisfy your expectation.
先日NHKのニュースで取り上げられていた一言。
19世紀の心理学者「アルフレッド•アドラー」より。
子育てでも、職場でも、友達関係でも、こんなことってありますよね。
子供のためにしてやっているのに。
同僚のために助けてあげてんのに。
友達のために云ってあげてんのに。
私もよく思ってしまいます。
しかしこれ、仏教的にはあまりお勧めできな考え方なんですよね。
「誰かのために」との行いも、自己と他を分けて考えてしまう場合と自己と他を同じものだと考える(同事)場合とでは、した側の気持ちが変わってくるのです。
してあげた、ではなく、させていただいた。
その行為はその行為自体が終了した時点で完結。
その先はなにもない。
自己と他が同じであれば、何かを見返りに求めることもありません。
見返りを求めることがなければ、苦しまなくてすみます。
悟りとは明らめること。
明らめるとは、諦めることではなく、感情や利害などに左右されない心、何事にもとらわれない心を持つこと。
楽に生きるために、とらわれない心をもちましょう。
What do you think the opposite meaning of "thank you"?
ありがとう。
よく使う言葉ですね。
漢字に直すと、有難う。
有難い、つまり滅多にないことの意味。
ではその反対の言葉はなんでしょう?
みんなで考えてみましょう。
Being a hypocrite is better than doing nothing.
悪名高き(?)2ちゃんねるの何某氏より。
日本は本当に自然災害、特に地震の多い国ですね。
今更ながらつくづく思わされます。
熊本、大分の被災された方々に心よりのお見舞いを申し上げるとともに、亡くなった方々へのお悔やみを申し上げます。
安らかにお眠りください。
偽善、は人の為の善。
他人を他人とのみ認識すれば、それはニセモノなんでしょうね。
困った時にはお互い様。
他をして自に同ぜしむる。
その心があれば、偽善は偽善にあらず、真の善なり。
Some cherry blossoms are falling and the remaining blossoms are going to fall、too.
私の心よりお慕い申し上げます禅僧の一人、良寛菩薩さまの辞世の句。
春は心ウキウキ、晴れやかなる季節。
世界もなんだか浮足立って見えるよう。
桜も舞い散り、新世界の到来。
世はなべて太平なるかな。
しかし、ちょっと待って。
お気楽極楽に過ごしていると、あっという間に時は過ぎ去り。。。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」親鸞上人
今を生きる。
簡単なようで難しい。
此岸の我らも、いつかは彼岸に。
ご用心ご用心。
Flowers bloom the same way every year,
but people do not remain the same.
劉廷芝の漢詩より。
本来は、人の世の無常を歌った長い漢詩。
入学式などの挨拶では、毎年顔ぶれの違うことを歌ったものと話し、お檀家さんに話する際には、同じ花を愛でる我々も昨年の我々とは違うんですよ。生を大事にしましょうね、などとお話しさせていただいている言葉で、大好きな一句です。
年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず
近所のおばさんに、今回は少し硬すぎるわ、とのお言葉をいただきました。
楽しみに見ていてくださっているんですね。
ありがたいことだなあ、と思いました。
If it is not productive,
don't bring up the past.
メキシコの作家、ドメニコ•エストラーダの言葉。
我々は今を生きています。
今、今、今と言うそばから過去になっていくのに、過去の話ばかりに拘泥していてはいつまでたっても前に進むことはできません。
「なぜ目は前についているかわかるか。前へ前へと進むためだ」とのび太の先生も言っています。
後ろを振り返るのは安全確認の時。
安全確認が済んだら、迷わず前に進みましょう。
When you tumble, stand up.
When you stand up, start to walk.
春は喜びと悲しみ、悲喜こもごもの季節です。
受験に成功した人、失敗した人。
就職できた人、できなかった人。
転ぶこともあります。
倒れることもあります。
でも、立ち上がりましょう。
そして、歩き出しましょう。
一緒に歩いていきましょう。
一歩一歩、ぼちぼちと。
Get over severe winter, then cherry blossom makes flowers in full.
Cheer up, boys and girls who is taking entrance exam.
And don’t catch a cold.
さて、受験もいよいよ最後の追い込みですね。
自分も昔のことを思い出します。
あまりお勉強ができる口ではありませんでしたが。。。
春に花を咲かすためには、冬の寒い時期をじっと黙って根をはるしかありません。
四月に見れる皆さんの笑顔をみんな待っています。
時節柄インフルエンザなんかには十分お気をつけください。
頑張れ、受験生諸君!
If you work hard, wisdom comes out.
If you work incomplete, complaint comes out.
If you work irresponsible, excuse comes out.
戦国の名武将、武田信玄公のお言葉だそうです。
胸にグサッときますね。
皆さんはどうですか?