私はあの日、大阪のマンションで嫁さんと国会中継を見ながら「吉本よりおもしろいな、菅直人」などと軽口を叩いておりました。
部屋の電気が揺れ、あれ地震かな?と思っていたところテレビの画面が急に変わり、あの映像が飛び込んできました。
これで日本は終わるのだろうか。
それからひと月くらいは本気でそう思っていました。
関西在住の私はテレビでしかその風景を見ることがなく、日に日に生活に追われその気持ちは薄れていきました。
しかし、何かしたい、しなければいけないと思う気持ちだけはありました。
夏休みを一週間もらい、私は嫁さんと子供を大阪において被災地にボランティアに参りました。
朝、公民館のようなところに集合し、大型バスに揺られ現場にいきました。
家々があったであろう場所は基礎しかなく、男性が一人、頭を垂れたまま微動だにせず佇んでおられた姿は、今でも私の頭から離れません。
船が陸に上がり、車がつづらに重なって、アスファルトがめくれた道路には生活道具が散乱していました。
避難所の皆さんは、思ったよりも明るく、そのあまりにも理不尽で辛い経験を話してくれました。
「私は家財道具から家から全て流されたけど、家族が無事だったからまだ幸せよ」
「うちの人はまだ上がってないんだよね。せめて体だけでも帰ってきてくれればいいんだげんど」
「息子と孫が一緒に流されていった。なんでこんなことになったんだべね」
私は何もできず、何も言えず、ただただ皆さんの話をお聞きしておりました。
寄り添う、などという立派なものではありません。
傾聴する、などと格好のいいものではありません。
ただ、皆さんのお話をうんうん、と聞いておりました。
あれから5年経ちましたね。
あのおばさんの旦那さんは帰ってこられたのだろうか?
靴が欲しい、といっていた男の子は就職できたかな?
東京に行ってマンガ本が読みたいです、といっていた女の子は進学して東京で暮らしているのかしら?
みなさん、私は忘れていませんよ。
あの時のみなさんが私にしてくださった貴重な、理不尽な、不幸な怒りや悲しみ、無力感に満ちたあの空気、そしてなにより「来てくれてありがとうね」と私にかけてくださった暖かい言葉。
私は決して忘れません。
何もできない無力な私ですが、兄弟子と二人、八王子と彦根で11回の鐘を鳴らし、追善供養を行いました。
嫁さんと二人、心を込めてお焼香をし、遠い東北の地に想いを馳せました。
みなさんとともに、歩いていきます。
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