長松院は、開創当時の寺名を「祥壽院」といいました。
これは初代彦根藩主井伊直政公のご遺体を火化した跡地に建てた灰塚がこの寺の発祥であるため、直政公の御戒名「祥壽院殿清涼泰安大居士」からその文字を頂いたのが始まりだからです。
のちに殿様の名前を頂いていては恐れ多い、との理由から長松院と改名するのですが、この故事の由来どおり墓地内に立派な灰塚があります。
現在の灰塚は明治の直政公三百回忌の際に整備されたもので、塚の下には直政公が身につけておられた刀や甲冑、兜などが一緒に埋葬されているといいます。
この度この灰塚に、チェーンポールを建てました。
いつもお寺整備にご協力くださる御檀家さんの手によるものです。
ポールもチェーンもその御檀家さんが持参してくださり、私はいつものお手伝い。
真下さん、どうもありがとうございました。
なんだか名旧跡の雰囲気が醸し出されていませんか?
下から見上げてニンマリとしています。
次はこの灰塚の由緒書きを考えています。
もちろん手作りです。
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