今年もミシガン大学の留学生たちが坐禅しに来てくれました。
今日は朝から雪の舞い降る寒い日ですが、10人の生徒さんが参禅してくれました。
ほぼ全員が坐禅初心者で、堂内の歩き方から印の結び方、足の運び方など真剣に聞いてくれました。
付き添いの先生は何度も坐禅会に来てくれている方なので、一緒に集中して坐ってくださいました。
一緒に集中していたため、今回は坐っている姿の写真はなしです。
いつも通り堂内の作務をして、書院に移り暖かいぜんざいを頂きながら茶話会。
甘いものが苦手な人もいたようですが、鏡開をしたばかりのこの時期の日本の食べ物です。
興味津々で箸をつけていました。
初めて行った坐禅の感想はといえば、大概の人が「足が痛かった」「暑かった」「寒かった」ですが、今回の感想には「集中するのが難しかった」というのがありました。
確かに滝に打たれる修行や水をかぶる修行、お経を繰り返して念ずる修行などに比べたら、ただひたすらに坐る坐禅は難しく感じる方もいるかもしれません。
そこで、ひたすらに行ずることが坐禅であって、坐ることだけが禅ではないということをお話ししました。
すると今度は生徒から「それは無になるということですか?」と質問。
なんと難しいことを知っているものだ!
感心しながら”無”と”空”について簡単にお話しもいたしました。
せっかく日本に来たのですから、今しかできないことをし、今しか出会えない人と出会い、今しか食べれないものを食べ、たくさん経験を積んで帰国して頂きたいものです。
また来山してくださいね。
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koike kazusuke (水曜日, 23 1月 2019 18:05)
今のヨーロッパ、アメリカの方はけっこう勉強しておられる方が多いので感心します。たぶん、マインド・フルネスがITの関係者の間で流行っていることから、そのもととなるところまでさかのぼって学ぼうという人が増えているせいだと思います。昨年末はティク・ナット・ハンのアメリカ人のお弟子さんから、日本における四念処経の扱いと、天台の止観と道元さんの坐禅の関係をかなり細部にわたって質問されました。七覚支を英語で何と言うか?などでずいぶんと苦戦しました。
山主 (木曜日, 24 1月 2019)
小池先生 お久しぶりです。
おっしゃる通りですね。古来から日本にあるはずの坐禅、止観であるはずなのに、逆輸入の感があってなんだか面白いです。
koike kazusuke (土曜日, 26 1月 2019 07:22)
最近はthezensaiteというところで、正法眼蔵などの英訳を読んでいる人も多いので、うかうかしていると『勉強負け』してしまいますから、気が抜けません。私も玉城先生中村先生など5種類ほどの現代語訳をそろえました。さて、それを英語でとなると、たいへんです。スカイプなどで『SOMOSAN』などと言われてうかつにSEPPAなどと答えたらたいへん難儀します(笑)。本日は道元さまの誕生絵ですね。4時起きでちょっと坐りました。
山主 (土曜日, 26 1月 2019 07:49)
先日きた留学生の中にも、無について多少の知識がある子がおりました。日本人ですら知らない人も多いのに、驚きました。正法眼蔵なんかは英語の方が理解しやすい部分は多少なりともあるのかもしれませんね。原文などはもはや某国スパイの暗号です(笑)