· 

『祈ること』の虚しさ。

オリンピック終了後に動く。

テレビやネットのニュースで言われていた悪夢が現実になった。

プーチン•ロシアのウクライナ侵攻だ。

毎日ニュースを見ては、心を大いに痛めている。

 

そして同時に考える。

宗教とは何なのか?

祈りとは何なのか?

私は無力だ。

 

此度つくづく思う。

宗教とは『共同幻想を共有する者たちの言語のようなもの』だと。

共有する言語を持たぬ者同士はついぞ理解しあうことができない。

コミュニケーションが取れないのだ。

そしてどうやら、これは宗教だけの話ではないらしい。

 

昔師事していたアメリカ人僧侶、故グラスマン徹玄老師が法話でこんな話をしてくれた。

 

『仮にあなたの右手をトム、左手をナンシーとしよう。トムが刃物で切りつけられ、ドクドクと血を流している。それを見てナンシーはなんとする?「怪我してるわね?痛そうね。大変ね」などと言ってる間なく、その傷口を抑え出血を止めようとするだろう。そうしなければ、あなた自身が出血多量で死んでしまう。私はトムであり、あなたはナンシーなんだ。ならばなぜその出血を止めようとしない?』

 

しかし、なんとあろう。

傷口を抑えるべきナンシーは、こともあろうかトムを刃物で切り付けているではないか!

 

 

私は正義という言葉が大嫌いだ。

人の数だけ正義があり、その裏には暴力の後押しがあることの方が多いからだ。

力なき正義なんかあぶくのようなもの。

しかし力に基づく正義は、自分とは違う正義を排除する。

相手にも正義があることなど、考えようともしないのだ。

歴史的、政治的、民族的に各々正義は持っていよう。

しかしやはり、先に手を出した人の方が悪い。

殴ったものの負けなのだ。

個人であろうが、国家間であろうが、手を出してはいけない。

それじゃただのならず者だ。

 

同事といふは不違なり 自にも不違なり 他にも不違なり(修證義)

 

自分がされて嫌なことは他の人にしてはいけない。

3歳の童子でも知るものの道理である。

しかし69歳のプーチン翁も行うは難しいらしい。

 

『ウクライナは我々にとって、ただの隣国ではないことを改めて強調したい。私たち自身の歴史、文化、精神的空間の、譲渡できない不可分の一部(プーチンの演説より)』とあるが、譲渡できない不可分の一部=自分自身であると考えた時に、此度の行為は自傷行為でしかないことに彼は気づかない。

住む人々なき歴史、文化、精神的空間に何の意義があるのか?

そもそも、国のために人はいるのか?

それとも、人にために国はあるのか?

 

 

『話せばわかる』

そう言って『問答無用』と斬り殺されたあの時代から、我々の本質は何も変わっていない。

第三帝国を築き、世界に平和をもたらすのだ、と絵描きが虐殺した歴史から、我々は何も学んでいない。

そして今も、この文章を書きながら、更なる無力感に苛まれ、自己嫌悪に陥っている。

 

私に何ができるのか?

祈ることしかできないが、それが本当に誰かの苦しみを取り去ることができるのか?

私の、宗教者の、独りよがりではないのか?

自己満足ではないのか?

 

今日も自問を続けている。

答えは、まだ出ない。

コメントをお書きください

コメント: 3
  • #1

    転輪坊 (月曜日, 07 3月 2022 04:50)

    おはようございます。ロシアは攻め込む前に何度も、NATOを拡大するのはロシアへの挑発だ、と言っていました。もともとNATOはソヴイエトに向けて結成されたもので、最初は12か国しかおりませんでした。NATOに対抗するものとしてワルシャワ条約機構が作られましたが、東ドイツはワルシャワ条約機構、西ドイツはNATOでした。それが東西ドイツが統合されたとき、西側諸国は『ドイツがNATOに入るのであれば、ドイツより東へは一切NATOを拡大しない』、と約束しました。そして、東西ドイツ統合とともにワルシャワ条約機構は解体された。しかし、NATOはそのまま、メンバーを増やして、ついにウクライナまでNATOの一員にしようと交渉をしていた。そのとき、ウクライナはたいへんな利益誘導と政治汚職をアメリカなどに持ち掛けていました。ジョー・バイデンの息子のハンター・バイデンが、現地の言語を話さず、エネルギーの専門家でもなく、薬物中毒で米軍を放逐された後で、ウクライナのブリスマ社(エネルギー関連の会社)に重役として大金の給与で雇われたこともそのひとつです。つまり、ウクライナと西側にも大いに問題ありだと私は思います。

    私はこの話は、釈迦族が、ウィデウーダッバ王子が新しい王となって、釈迦族を攻め滅ぼしに入った話を思い出します。目連が『今日、王は釈迦族を攻め滅ぼしに行きますが、それを忍ぶべきでしょうか?』釈尊が答えて『汝、いまこのとき、釈迦族の宿縁を虚空の中に移すことが出来ると思うか?』と問います。目連答えて『今日、釈迦族は宿縁熟し、いままさに報いをうけるでありましょう』。

    しかし、攻めて殺戮をしたロシアも、一時的勝利を得ても、やがては宿縁を築き、それによって滅びるでしょう。初期経典に曰く『愚かなる者は悪の木の実がみのらないうちは平気だと思っていても、悪の実がみのる時は苦悩を受ける。他人を殺せば、自分を殺そうと狙う者を招き入れ、他人を打ち負かせば、自分を負かすものを引き寄せる。』

    ウクライナもNATOの傘でロシアに対抗しようと考えなければ、あるいは『まったく無抵抗』であったら、もっと、悪の側が際立ったと私は考えます。釈尊の智慧は2600年たった今でもバリバリに通用すると私は思います。

  • #2

    山主 (火曜日, 08 3月 2022 09:37)

    転輪坊さま
    それにしてもプーチンのここ最近の行動は常軌を逸しています。
    パーキンソン病によるせん妄のような報道もありますが、果たして真相は。
    それにしても子供たちが傷つけられる現状には嫌気がさします。
    ウクライナに早く落ち着きが取り戻せますように。

  • #3

    転輪坊 (火曜日, 08 3月 2022)

    プーチンはたしか30人弱ジャーナリストを暗殺しています。英国の諜報部が5~6年前に、ロンドンでのロシアのスパイ活動と(ポロニウム?だったか?)原発で出来る放射性物質を微量、飲み物などに混ぜたり、すれ違いざまにターゲットの人物に撃ち込むなど(1mmもない球形の殻)の暗殺をやっている、それは冷戦時代よりひどくなっていると警鐘を鳴らしていました。それは『宗教はアヘン』という主張のドグマの上に出来た国では、道徳をどう考えるのか?という問題と結びついていると思います。旧ソヴイエトでは宗教の宣伝活動は違法、宗教に反対する宣伝活動は合法となっていました。そういうところから現われる独裁者はきわめて危険です。タブーがない感じがする。仏像は無抵抗をつらぬいた初期の仏教徒が、ただ侵略者にやられてゆくなかで今のパキスタンあたりで生み出したと言われていますが、彼らが『やりかえさなかった』ことで、いまだに仏教徒は胸を張っていられるということは大きいと思います。キリスト教では、内部で、『我々は他のキリスト教徒と違って侵略をしなかった』と多くの新興宗教を生み出しました。ヒンドゥー教では『戦争で敵を倒すのは、悪人のカルマを早めてやる』ということが出てきます。それもまた長期的には多くの問題を生み出す。その意味でいま、仏教が世界に教え貢献できることは深く、大きいと思います。最後は仏教だと私は考えています。