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寶林斎の謎。

だいぶまたご無沙汰してしまいました。

怠惰な方丈でございます。。。

 

実は本日、駒澤大学大学院の梶龍輔先生から、兼務寺院の統廃合についてのインタビューをお受けいたしました。

昨今進む寺院の統廃合ですが、これは日本仏教界全体の問題になっておりまして、かくいう私も末寺である彦根市平田町にあった寶林斎の長松院への吸収合併を昨年完了させた訳なのですが、それについてのお話が聞きたい、というのでわざわざ東京からおいでになった次第なのです。

まだお若い先生で好感のもてる方であったこともあってお話は大層盛り上がり、気がつけばほぼ4時間(!)

そしてその際に、寶林斎についての貴重な資料を見せていただく機会に恵まれました。

 

実はこの寶林斎、お寺の由来、つまりいつどういう流れで誰が建てたのかはっきりしないのです。

普通、本末関係(本寺と末寺、本家と分家のようなもの)は、本寺の第何世かが開山となっており、それがご縁で本末関係を結んでいくのですが、寶林斎の開山様とされているお坊さんは長松院の歴住に名を連ねておりません。

 


 

左のお位牌が長松院に昔からあったもの、右のお位牌が寶林斎よりお預かりして参ったものですがそれぞれ『當院末寶林斎中興開基(當院開山堂再建一施主は、江戸時代に開山堂を建てた際の寄進によるものか)冷月慈戒 尼首座』、『當斎開基 冷月慈戒 尼首座 鏡山玄光 尼首座 各品位(かくほんい、と読みます)』とありますが、長松院の歴住諸位大和尚にはこれらのお名前がないのです。

私のような浅学の徒では、なぜこうなったのか理解が及びません。

 

そして今日、先生よりこのような資料を見せていただきました。

それがこちら↓↓↓

 

 

こちらは滋賀県歴史的文書というものからですが、由緒のところに『創立年暦詳カナラズ 去ル文化九年マテハ浄土宗彦根大信寺末ニシテ永ク無住成ル故ニ同年二月曹洞宗長松院斎トモ譲リ受該寺弟子冷月禅尼ノ開基也』とあります。

つまり、大信寺の末寺であった寶林斎だが、長い間無住であったため長松院が曹洞宗の寺院として譲り受け、当時の歴住の弟子であった冷月尼首座を開基にして護ってきたということになります。

そのため、開基(開山)であり、また荒れた寶林斎を再興した中興の祖とされている。

これで先ほどの左のお位牌については説明がつきます。

がしかし。

今度は右に挙げた金色のお位牌にある『當斎開基 冷月慈戒 尼首座 鏡山玄光 尼首座 各品位』の鏡山玄光 尼首座とは一体どなたなのか?
こちらも当時の長松院住職のお弟子さんなのか?

その方についての情報はこちら。

 

 

写真右側下段に『第十代鏡山玄光尼』の名前が見えます。

こちらの文書、なんと臨済宗は龍潭寺の法系を記したもの。

つまり連名で載っている寶林斎の開山さまのもう一人は臨済宗のお寺の住職だった(!)ということになるのです。

元々は浄土宗のお寺であった寶林斎を立て直したのは曹洞宗と臨済宗の協力によるものだったということになる訳です。

これはとても面白い歴史であるといえます。

今は宗派に分かれて互いに行き来のない禅宗同士ですが、その昔はそのような垣根なく互いに力を合わせて寺院を護ってきた訳ですね。

 

先生、大変貴重な資料をありがとうございました。

 

どうやら国会図書館のアーカイブスでいろんな情報が収集できるようです。

今度は長松院の歴住の情報なども調べてみたいと思います。

 

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コメント: 1
  • #1

    岡田 頼典 (水曜日, 09 10月 2024 10:09)

    なるほどですね。やはり、歴史あるお寺ですね。貴重な歴史をお知らせいただきありがとうございます。